絶対的な父親の存在、そして美容業界へ

「会社辞めろ!」

いずれ、私は父親の会社に勤めることになるだろうと、覚悟はしていました。

しかし、このタイミングで……。

申し遅れました、美容商材の総合ディーラー、多田美容商事の代表、多田猛と申します。

私が物心ついた頃
父親が独立し、多田美容を創立しました。

毎晩帰りが遅い父親。

決して裕福な家庭ではありませんでしたが
私の家には、お風呂で父親の背中を流す習慣がありました。

その時に父親と話す時間が、一番楽しかった。

日曜日の朝には父親と一緒に喫茶店に行って
家族で朝食をとる習慣もありました。

小学校高学年ぐらいから、父親は自分の仕事について語り始めました。

いわゆる洗脳教育でしたね。
今から思えば、その頃から既にレールをひいていたんでしょう。

同時期ぐらいに私は人形劇「三国志」が大好きで
「長男」というのは「嫡男」なのだと、父親との話がリンクしました。

その頃から、「後を継がないといけない」という思いが、
自分の中で重圧になっていたように思います。

卒業後、(株)ミルボンに入社。

なぜ入ったのか……。それはやはり父親のこの一言!

「ミルボンがいいんちゃう。」

そのまま、何の疑いもなくミルボンへ。

今から思えば、 それもさりげに業界の事を勉強しろということだったのでしょう。

運命を変えた父親の一言……「会社辞めろ!」

今の自分の土台は、ミルボンで叩き上げられました。

今までは、社長の息子であるが故に、周りからもてはやされていました。

「ばっちりや!完璧や!」

そんな風に思っていました。

しかし、ミルボンに入社した途端、全く相手にされなくなりました。

営業とは、他人から認められて、初めて成り立つもの。

人前でも全くしゃべれない自分に気づかされ
入社して半年ぐらいは、何もできませんでした。

「どうしよう……。」

しかし、中途半端なままでは帰れない自分との葛藤がありました。

美容室の営業終了後、臨店講習を何度も繰り返し、
提案型営業をするようになり、少しずつ自信もついてきました。

私の恩師でもある、ディーラーの社長と共に
経営計画書や社員のまとめ方のマニュアルなども作るようになりました。

美容室自らがファン客を作り上げていく、
そんな美容室になっていただくために尽力するのが、自分の仕事だ。

その事が、今でも自分の土台になっています。

そんな時、忘れもしないある出来事が……。

茨木県水戸市のとある重要なサロンで
臨店講習を行った帰りのことです。

電話が鳴りました。

それは、社会人になって以来、
親子の縁が切れたのかというほど連絡が途絶えていた父親からの電話……!
(その当時、父親の会社はミルボンで10位に入る売り上げを誇るお得意様でした。)

「今東京おるからこい!」

「うわ〜ッ、まじで……。」

しかし、どことなく嬉しく思う自分がいました。

2時間半かけて、やっと東京に。

父親は、大御所サロンオーナー、メーカーの社長など数人いる中での食事会の最中でした。
「この中に、ミルボン社員である自分はまずいのでは……。」
そう思いましたが、その場はなんとかやり過ごしました。

食事会終了後、ホテルまで父親を送り届けました。

終始、無言のまま……。

ホテルに着き、部屋へ入るなり、父親の一言。

「会社辞めろ……。」

「?????」

いずれ、私は父親の会社に勤めることになるだろうと、覚悟はしていました。

しかし、このタイミングで………。

ミルボンに入社して5年目。一番のっている時でした。
臨店講習を行えば、商品を購入していただけるサロン様が殆どでした。
会社は時代の成長期で順風満帆。
不安定さはまったくありませんでしたが、

私の答えは……。

「はい、分かりました。」

何の疑いもなく、聞き入れていました。

「やっと認めてくれたのかな」という安堵感があったのかもしれません。

自分の中にぶれない「軸」ができた

2000年12月23日
多田美容に改めて入社。

今まで、ミルボンではイケイケだった自分。

しかし、そんな環境から一転。

ミルボンにいた頃、多田美容と共にイベントをする機会が多いこともあり、
とても良い会社だと感じていました。

しかし、当時の多田美容の不安定さは、半端ではなかったのです。
だんだんと会社の内情を知り、社員は15.6人しかいないのに派閥まである……。

何もかも、ミルボン時代とは大違いでした。

しかも、
「社長の息子に、一体何ができるのか?」

社員から、美容室の経営者から、そんな目で見られました。
「これはまずい……。」

なぜ社長である父親は、私を呼び戻したんだろう?
私は何をすべきなのだろう?
自問自答の日々が続きました。

後々、父親からこんな話を聞きました。

阪神大震災が起こった年、
私が多田美容に入社する以前のことです。

数十名いた社員がクーデターを起こし、全員去ったそうです。
それは、一番信用していた社員が数人引き連れて辞めた直後の出来事でした。

私は思いました。
「同じことを、2度と繰り返してはいけない。」
「まずは潰れない会社にしないと……!」

私の軸となる想いが、明確になった瞬間でした。

その時の話は、今でも私の宝となっています。

大切なのは、「夢は現実にリンクさせること」

多田美容に入社して10年、
私は社長に就任しました。

私の父親を絶対的に尊敬し、父親の言う事しか聞かない人たちがまだまだいる中、
私の時代が到来したのです。

私は戦略を練りました。

「潰れない会社を作る。」「関西ナンバー1の会社にする。」

そして、
「夢は現実にリンクさせること」
「夢は現実にリンクさせること」

そう、何度も自分に言い聞かせました。

会社のあるべき姿を強く思い描き、
それが現実となるように行動を起こすべきだと考えたのです。

その為に、優秀なメンバーを幹部として自分で選考し
組織の体制を整えることから始めました。

ミーティングに時間を費やし、
みんなの意見を取り入れ、少しずつシェアを伸ばしてきました。
今となっては、幹部は家族のようなものです。

気付けば、社員は50人を超え、
当時9億スタートだった売り上げは
今では24億になり、取引サロンは1500件を超えるようになりました。

しかし、父親である会長はいつも言っています。

「売上が上がっても、こんだけ経費使ってたらあかんやろ、昔の方が儲かってたわ!」

まぁ、言わせておきましょう。

あなたのサロン、儲けさせます!

昨今、よく聞かれるのは

「多田美容の強みは、一体何なのか」と……。

それは、
「あなたのサロンを儲けさせます!」
ということです。

あなたのサロンは、儲かっていますか?

儲けようという、意識はありますか?

もっと大きくなりたいと思っているでしょうか?

当社とお付き合い頂いているメーカー、ディーラーは 不景気と言われている中で、どんどんトップシェアを取ってきた会社です。

なぜ、トップシェアを取ることができるのか。
そこには共通の答え、

「上手くいく人、モノ、金、情報というモノが存在する。」
ということが言えます。

たまに、
「人足らんから、人いない?」
そこだけを言う、サロン様もいます。

当社も、人材を集めるために就職フェアなど主催しています。
ですが、人を雇用する前に考えてみてください。

まずは、サロンの体質を強くする。
辞めない組織づくりを優先するべきではないでしょうか?

いくら人を入れても、
「それじゃあ辞めるよね。」という様な組織ではだめなのです。

まずは、スタッフが定着するための、会社の、サロンのインフラを整えましょう。
人はそれからです。

売上が下がり続けているのに、そこに新規のお客様を入れても笊でしょう。

失客が少しでも減少するように、サロンを作り直しましょう。

それから新規客を取り込む施策を行っても、遅くありません。

私の信念は、サロン様に儲かっていただくための努力は惜しまないことです。

最後は自分に返ってくるので、
やはり、WIN WINの関係が一番です。

サロンの結果が悪ければ、私達ディーラー業もうまくいきません。
美容室の客単価は、20年下がり続けています。
割引、ダンピングのことしか考えていないサロン様も多くあります。

昨今アベノミクス効果もあり、株価、為替が戻り
経済が活性しつつあるかのように思いますが、

美容界のこれからは、どうでしょうか?

美容師がどんどん減少し、物価も上がっていくでしょう。

このままいくと、来年、再来年には消費税の値上げが実行されます。

美容室としては、完全に考え方を変えていかないと
大変な時代が到来します。

どうでしょうか?

いちど、多田美容とお付き合いしてみませんか?

「あなたのサロンのこれから」を
共に考えさせていただけませんか?

ネットが主流の時代の世の中、
集客できて儲かるサロンづくり、人が辞めないサロンづくりを
共に、成功させたいと思います。

信念をもったサロンオーナー様

まずはメールにてご連絡いただけましたら幸いです……。

最後に一言。

第一印象で人は判断できません。
酢昆布みたいなもので、まずは噛んでもらわないと、味は出ません。

まずはご連絡をお待ちしています。

多田美容商事 代表取締役社長 多田 猛
多田美容商事 代表取締役社長 多田 猛

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